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広大なアロエベラ畑
インド南西部、ヴィジェイ・シャーの12ヘクタールのアロエベラ畑 |
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2003年4月22日配信: クッチ地方はインドの最西端に位置し、北はパキスタンに接し、西はアラビア海に面するカメの甲羅の形をした砂漠地帯です。
太陽が情け容赦なく、細々と命脈を保つ低木林に、サボテンに、そしてソールトフラット――湖・池の水が蒸発してできた塩分の沈積した平地――に照りつけます。雨は年に二、三度しか降りません。その雨は激流となってごうごうと流れ、干上がってひび割れた大地に水路を切り刻み、地中にしみ込む間もなくどっと海へと流れ去るのです。
昨年この地域では一度だけ雨が降りました――それは2年続いた異常に長い乾季の後の、1時間に75ミリという豪雨だったのです。クッチ地方は、2001年、マグニチュード7.9を記録したインド西部大地震に見舞われて壊滅状態となり、その時の後遺症をまだ引きずっていました。
こんな厳しい状況にもかかわらず、農家の人々は、しぶしぶやっと人を受け入れるような、時として人を拒むような土地から作物を絞り取るように穫り続けています。しかしまさにこのような困難な状況があったからこそ、オーガニック農業をしようと決断する人が増えてきたのです。
こうしたオーガニック農業の先駆者の一人が、髭をたくわえ、にこりと笑みを浮かべる45歳の男性、ヴィジェイ・シャーです。彼は17ヘクタールの「ニューテック農場」を所有し、生ナツメヤシの実やアロエベラを専門に栽培していいます。彼は過去何年間も最新の化学肥料や殺虫剤を使用していました。しかし、今、彼の机の上には「1996年7月1日――化学肥料と殺虫剤の使用をきっぱりと止めた日」と、鉛筆でメモ書きされた記念すべき一枚の紙がテープで貼ってあります。
この過酷な砂漠気候の中で、ヴィジェイ・シャーは平和というオアシスを造ってきたのです――自分自身のため、一家親族のため、そしてこの土地のために。
ガンジーから祖母の祝福に至るまで、多くの人たちから影響を受けて
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ナツメヤシに熱湯を
シャーは殺虫剤の代わりに熱湯を使って、果樹を害虫から守ります。 |
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シャーのオーガニック農業への移行は、多くの人たちからの影響を受けながらゆっくりと進んでいきました。彼は自分の置かれた状況を、井戸に落ちた子供を助け出そうとして、自分もその中にいると気づいた愚か者の話になぞらえています。二人が無事に助け出された時、その愚か者は、彼の勇気を讃えて喜び迎える人々に対して、苛立ちと困惑をもって答えました。「まず、誰が私の背中を押して井戸に落としたのか言ってくれ」と。
「私の背中を押したのは一体誰なのか、今でも考えているんですよ。」とシャーは笑いながら言います。「私が読んでいたシューマッハーの『スモール
イズ ビューティフル――人間中心の経済学』、アルビン・トフラーの『第三の波』、ガンジーの『ルーラル
インデペンデンセズ(農村の自立)』のいずれだったか、それとも祖母の与えてくれた祝福だっただろうか、と。」
シャーは少年時代の5年間をクッチの南西部にある、ラヤンという小さな村で祖母と暮らした後、若い頃の大半をアラビア海に面したインド最大の都市ボンベイ(現在のムンバイ)で過ごしました。1997年、彼は印刷工学の学位を取得して大学を卒業し、すぐに兄と一緒に印刷業を始めました。けれども、2、3年も経たない内に、心に不安を覚え始めました。「ビジネスマンとして、自分が有能でないことが分かったのです。」とシャーは告白します。「心の奥底では、この大地、母なる大自然と共に働かなければならないのだ、と薄々気づいていました。」
1986年、シャーと彼の奥さんは、ライアン村にある先祖伝来の1.6ヘクタールの土地に引っ越しました。それは、引っ越す少し前に心臓発作を起こした彼の父親と彼自身のために、もっと穏やかな生活を求めてのことでした。彼はそこで両親と共に暮らしながら、スイートコーン、メロン、ザクロ、イチジク、ナツメヤシの栽培を始めました。
ヴィジェイ・シャーは化学肥料や殺虫剤を使って農業を始めました。その生産量は驚くべきものでした。「土壌が豊かで、地下水を利用できた当時は、見事なナツメヤシや輝くばかりに赤いザクロが穫れました。最も収穫量の多い時には他の農場の6倍も生産していたんですよ。」
しかし、7年間化学肥料の使用を続けた後、シャーは、気候や土地の条件の厳しい所では、化学肥料を使った農業は長続きしないことを悟りました。シャーは地域の農家が今になってやっと分かり始めていることに早々と気づいたのです。つまり、彼の使った化学肥料は作物だけにしか栄養を供給せず、他の土壌微生物には栄養どころか害しか与えなかったので、土壌構造が弱体化してしまったのです。彼は化学肥料の使用によって多くの有益な土壌微生物を殺してしまったことを知りました――土壌微生物は土壌の団粒構造化を促進することによって水や空気の浸透性を高め、土壌を肥沃にし、土壌が水分を保持できるようにしてくれるものなのに。化学肥料の継続使用によって、土壌は団粒構造の形成を担っている微細粒子を失い、土壌の保水・通気機能が損なわれ、雨が降ると固まるようになってしまったのです。
乾季になると、ひび割れて砂埃が立ちこめる表土を風が大地から吹き飛ばしていきました。豪雨が襲うと、たちまち洪水となって、保水力も土壌構造を維持する力も弱体化した土壌を川に押し流してしまいました。
さらに悪いことに、シャーの近所に住む人たちが綿花の栽培を始めました。そして彼らが見境なく殺虫剤を使用するので、害虫はシャーの所有するニューテック農場へと避難場所を求めてやってきたのです。彼は岐路に立たされました。彼は語ります。「決心の時でした――殺虫剤を、そしてもっとたくさんの農薬や化学肥料をさらに使用する悪循環を続けていくのか、それとも農業のやり方全体を変えてしまうのか、二者択一を迫られました。」
心に平和を求めて、これまでのやり方を変える
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海草が栄養不足の土壌の肥料となる
まず、黒茶色の海藻をクッチ湾の海岸から約1キロメートルの沖合で採取し、農場へ運び込んで加工します。次いで、収穫した海藻をインドの熱い日差しの下で乾燥してから脱穀機に通し、砂や付着物を取り除きながら、粗い粉末にします。この粉末をポリエチレンの袋(一袋に30キログラム)に詰めて保管します。この粉末を乾燥した土壌の栄養補給に使うのです。実際に使用する場合には、水と混ぜて施用するか、あるいは粉末のまま施用するか、いずれかの方法をとることできます。ニューテック農場では灌漑設備のある12ヘクタールの土地に、年間で2トンの海藻を施用しますが、余った6トンは他の農家に販売しています。. |
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間もなくして、シャーはヴィパッサーナ瞑想コースに入りましたが、結局それが彼の人生における転機となりました。(ヴィパッサーナとは「物事を真実のあるがままに見ること」という意味です。)グル(ヒンドゥー教の導師)は、次のような助言をし、彼に新たな洞察へのヒントを与えました。「本当に平安を求めているのであれば、あなたの暮しは絶対に平安になります。」
シャーは、田舎の生活には彼が求めていた安らぎはなく、農業を営む日々の生活を巡っていつも自分が心配事に見舞われていることに気づきました。彼は、害虫だと思うもの――とりわけ厄介で回復力の強いシロアリを殺すことにいつも懸命でした。またマーケティングや確実に減り続けている生産量について、心配ごとが絶えませんでした。
「非常にストレスを感じていました。私は化学肥料、殺虫剤を使い続けるしかなかったのですが、その効果は衰えるばかりでした。」とシャーは語ります。「私は怖くなって、『もし、化学肥料や殺虫剤の使用を止めたら何が起こるんだろうか?』と自問しました。」
瞑想を続けるにつれ、シャーは化学肥料、殺虫剤の使用量を減らし始めるようになりました。「最初の3年間はとても厳しかった。移行期間中には何をしたらいいのか、その手がかりとなる情報はまったくなかった。」と彼は語ります。「化学肥料、殺虫剤の使用を止めるように、と言われてはいました……でもそれに代わるものとはいったい何なのだろうか。『健康な植物には健康な土壌を』という言葉を理解するのに、私には長い時間が必要だったのです。」
作物の生産量が低下し続ける中で、シャーは徐々に事態を解決し始めました。彼は土作りに励み、最後には、環境にやさしい一連の投入物を開発しました。彼は自分が開発したものを自ら使用し、他の人に販売しています。開発した製品は、土壌と植物の健康を維持するためのもので、植物ベースのニーム(インドセンダン)の果実の仁、カロトロピス 、ユーフォルビア、あらゆる種類のアロエが含まれています。彼は土壌に栄養を補給するためにクッチ湾からワカメや緑藻類を採取しています。また点滴潅漑システムに、栄養に富んだ畜牛の尿を利用しています。
シャーは土壌を保護し植生を守るため、他にも手段を講じました。枯死した植物体などによるマルチングを増やし、さらに、植物のまわりに低く這っている雑草を、生きたマルチとして抜かずにそのままにしておくことにしました。土壌温度を下げて微生物の活動を活発にするために、もっとたくさんの木を植えました。土壌を風から守るために、ニーム、セスバニア、ワサビノキ(モリンガ)、五葉のチェストツリーといったさまざまな特色を持つ木を混栽しました。また、ナツメヤシの木の幹を蝕む害虫を殺すために使用する有毒な燻蒸剤を止めました。今では彼は、害虫の被害にあった木の幹の裂け目に熱湯を注いで、害を及ぼす虫だけを駆除しています。
農業への新たな姿勢から、シャーのシロアリに対する見方が変わりました。シロアリすべてを殺そうとするのをいったん止めると、彼はシロアリがもたらす恩恵に気づきました。シロアリは枯死した植物の体を分解し、木の根の通気性を高めてくれるのです。「シロアリはまだ生きていて緑のところは全然食べないんだ。」と言って、彼はナツメヤシの木の幹に対するシロアリの働きに敬服しました。「今じゃシロアリとは大の仲良しだよ。」
数年後、シャーの努力は実を結びました。植物はずっと丈夫になり、より多くの実をつけるようになりました。土質改善の努力の甲斐あって土壌の保水力が高まってきました。75ミリ級の豪雨が一回降る間に、雨水はそれぞれの農家にある排水溝を通じて貯水池に流れ込みます。各農家の貯水池の増水の量から判断して、自分の土地の方が小さいので、化学農法を行っている近所の農地と比較して約二倍の保水力があると彼は見ています。
ブッカー・T.とアロエベラ
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土地の人たちといっしょになって農作業を
「高温で乾燥した気候でもすくすくと育ち、アロエベラはシャーの農場で本来の生息環境を見出したんだよ。」――アロエベラの収穫作業をする筆者のジェイソン・ウィトマー。 |
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シャーは、彼の崇拝するアフリカ系アメリカ人の教育者、ブッカー・T.ワシントンから、間接的にですが、農業の知識を少しずつ収集しました。ワシントンは南アメリカの海岸沖でハリケーンに襲われて遭難した船の話を語ります。その船に積んであった水がすっかり無くなってしまったとき、取り乱した船長は海岸からの救助を求める無線連絡をしました。船長が受け取ったのは、「今あなたがいる所にバケツを落とせ」という簡単な救難信号でした。始めは信じようとしなかった船長でしたが、そこの水は真水なのだということがようやく分ったのです。というのも、その水は大アマゾン川から流れ出て来たもので、河口周辺の海には何キロにもわたって真水が流れ注いでいたのです。
この話を知ったシャーは、自分自身の生き方について考え直しました。「そうか、私は2,000キロも離れた所からザクロの苗木を持ってきていたんだ。」とシャーは気づきました。「私はスイートコーンやメロンの種をアメリカや台湾から買っていたんだ――どれもこれも、とても遠く離れたところから。自分が今いる場所にバケツを落としていなかったわけだ。」
その逸話の意味を自分の状況に置き換えてくみ取った次の日、シャーは農場前の門のところで立ち止まり、アロエベラが狭い場所ではあるけれど、人の手をひとつも借りないで幸せそうに育っていることに気がつきました。販路の可能性についてはほとんど知識がなく、アロエ製品の加工法にいたっては、なおさら知識はありませんでしたが、「ここにバケツを落とそう」と彼は決意したのです。シャーは5千年の歴史をもつインドの伝統医学アーユルヴェーダ (アーユルヴェーダとは、サンスクリット語で“生命の科学”と言う意味です。アーユルが生命、ヴェーダが科学もしくは知識をあらわします)の治療にアロエが使われていることを聞いており、また人の手を借りずに自分だけで育つことができるように思える作物の栽培にメリットを見出したのです。
アロエベラの長くて多肉多汁の葉を農場で加工するのに役立つ情報は、ほとんど存在しないことがわかりました。彼と奥さんは貴重なアロエベラからジェルを抽出する方法を習得するために台所で実験を始めました。
生産量の拡大に伴い、彼は新しい課題に出くわすようになりました。雨期の後、低い土地で作物が腐るのを防止するために、シャーは畝幅の広い畝を立て、畝と畝の間の溝をしっかり掘り、水はけをよくすることに努めました。そして、そのやり方をほぼ農場全体に広げていきました。そして医療用のマラバーナッツの木を何本も自然の灌漑指標として植えました――これらは水を最小限にとどめ、ジェルの品質を最高の状態に保つのに役立ちます。また彼は、定期的に交互に牛に草を食べさせ、雑草を抑制しました。さらに病気や害虫を抑制するために、アロエベラの間作作物として、ナツメヤシ、アムラ(アラマキ)、メロン、キビ、トウゴマ、マングビーン、キマメ(木豆)、野菜、厳選された薬効のある植物を栽培しています。
4年間の試行錯誤の後、シャー夫妻はアロエベラからジェルを抽出する適切な方法とその安定化処理法を確立しました。シャーの兄弟たちは小さな建物をアロエベラ加工工場に改造しました。彼らは化粧品会社にアロエベラの販売を始めるとともに、アロエジェルの品質の改良を続けました。
ヴィジェイの弟マニッシュは、アロエジェルを原料とする健康飲料の開発に取り組みました。マニッシュは中国へ行き、26カ国から集った40人の科学者とアロエの用途に関する情報交換をしました。彼は、厳選した薬用ハーブを使って6種類の特製健康飲料を作ることをしっかり胸に秘めて帰ってきました。
一番上の兄であるマヘンドラは彼のマーケティングの才能を生かして、翌年に製品の販路をヨーロッパ連合(EU)方面へと拡大しようとしています。時には、17人いるヴィジェイの家族全員が、アロエ製品の生産活動を続けていくために一緒に仕事をします。
シャーはアロエベラ畑を12ヘクタールに広げました。彼は2003年のように雨が少なく日照り続きの年でも、生産量が維持できる生産技術の微調整を続けます。アロエの色の鮮やかさはどうしても失われますが、生産量は一定に保たれていました。ナツメヤシの木というのは化学肥料を与えていると、二、三年後にはたいてい弱ってくるものですが、彼のところのナツメヤシは非常によく実がなるので彼はその木の多くに名前をつけました。「ナツメヤシの木はまるで家族の一員みたいだよ。」と彼は言いました。
シャーは現在、インドの小規模農家のために、オーガニック認証システムを立ち上げる手助けをしています。目下のところ、シャーは、自分が生産した物を、自分のことをよく知っている人たちにしか販売できません。オーガニック認証システムがあれば、シャーも、またもっと限られた販路しかない小規模農家の人たちも、広く市場に販売することが可能になるのです。シャーは認証を希望する35人のインド人オーガニック農家の一人であり、彼らは今月の終わりまでに何らかの認証システムのためのガイドラインを作成したいと思っています。
シャーは、再生農業への取り組みを通して、農村生活に新たな希望を得てきました。彼はまだ生産・加工・販売が現在もなお継続できていることに感謝しています。「多くの農家の人たちは疲れているのです。」と彼は言いました。「こんなことはもうこれ以上できないと感じています。何か他のことをしようと考えているんです――たぶん売店でも始めて、タバコか何かを売ろうなんて考えているんでしょう。でも、私はこれから先も農業を続けていきますよ。」
しかしながらシャーは、絶え間なく周りの環境と闘い続けることよりは、むしろまわりの環境と共に生き、活動していくことに永遠の幸せを見出しているのです。
シャーは自分の想いを次のように語ります。「私は農場を取り仕切る親分ではなく……たぶん案内人といったところでしょう。シャーが親しみを抱いている土壌細菌や菌根菌から、シロアリ、ミミズ、コウモリ、カエル、トカゲ、鳥、牛、犬などにいたるまで、みんながそれぞれのやり方でそれぞれの役割を果たして貢献してくれるのです。みんなが繰り出すハーモニーが響きあい、大合唱団に育ってくると、互いを敬う気持ちが湧いてくるんです。はじめのうちは、いつも緊張して気に病み、虫を殺すことばかりしていました――でも今は、心の平穏を得ていますよ。」

次回予告:ジェイソンは、緑の革命で荒廃した土地を癒すオーガニックの先生マルカン・ヘリアに会います。インドの砂漠地帯であるにもかかわらず、彼が癒した農場はいつも涼しく水が潤っています。ヘリア先生はそんな新しいタイプの農業のお医者さんで、シャーの助言者であり、またアメリカの十代の若者にはまだ未知のものかもしれないという、にきびの治療法を知っています。さあ、皆さん、ヘリア先生に会いに行きましょう。.
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